|
|
|
|
|
Page 1 : 「ヌーベルまんが」 言葉の由来
JB - 個人的に、イベント「ヌーベルまんが」をどのように総括しますか。日本の作家側の参加に関して失望したということですが、それはどうしてですか。 FB - フランスの作家3人を10日間、日本に招待出来ると分かった時点で、このことは日本では例を見ないイニシアティブの体現であり、私にとってこのイベントの成果は既にポジティブなものでした。芸大の大会場・正木記念館とGallery SD602 Kingyo を借りられたこと、建築家・ナツメトモミチと小島聡子の協力、またフジゼロックス(イベントのポスターとカタログを太っ腹にもただで印刷)、Time & Style(「メゾン・ド・ラ・ヌーベルまんが」インテリア家具貸出)、マックスレイ(芸大での展示照明)、アサヒビール(ドリンク提供)などのスポンサーを得られたことで、更に成功が確実なものとなりました。 これに加えて、イベント「ヌーベルまんが」は、日本で初めての試みでしたが、マスコミに大々的に取り上げられました。 更に、「コミッカーズ」掲載予定のファブリス・ノーとダビッド・Bとのインタビュー記事、「Studio Voice」、「Daily Yomiuri」、「トラベル」、「るるぶ日本」、「バケーション」、「Spring」、「生け花りゅうせい」、「東京ウオーカー」等に載ったアートリンク・フェスティバル関連の数多くの記事や広告、特に「ジャパンタイムス」、「読売新聞」、「毎日学生新聞」、「美術手帖」、「MRハイファッション」に掲載された『ゆき子のホウレン草』と私自身に関する記事があります。冒頭で "大々的" に取り上げられたと言いましたが、大袈裟な表現だったでしょうか。 とはいえ、落胆した部分もあります。事実、日本人作家の参加についてです。谷口ジロー、やまだないと、小泉吉宏の来訪をのぞき、その他の "漫画家たち" はイベントにはやって来ませんでした。3名の、それも優れた作家かつ編集者でもあるフランス人たちが海を渡り、日本人作家との出会いと交流を求めていたにもかかわらず、まるで門が閉ざされていたかのようでした。 結局のところ、日本人作家の問題だけではなく、むしろ、漫画業界全体の問題でもありました。出版社でいえば、私の本を発行してくれている太田出版や美術出版社、あるいは青林工藝舎(「アックス」誌発行)や青林堂(「ガロ」誌発行)などといったインディペンデント系出版社以外は、ほとんど来ていただけませんでした。 さきほど私は、掲載記事を羅列し、マスコミでの重要性を説いたばかりですが、その中に「コミッカーズ」(「アックス」はイベントインフォのみ掲載)以外の漫画誌がないことに気づいたでしょう。フランスでは考えられないようなことが、日本では起こり得るのです。同じ内容のフェスティバルが、東京ではなくパリで行われていたとしたら、BD・漫画専門誌(「BoDoi、「Pavillon Rouge」、「Animeland」など)でもいくつか取り上げられたのではないでしょうか。もちろん「Lire」、「Le Monde」、「Beaux-Arts」なども、「ヌーベルまんが」イベントという見地から、日本のマスコミ(新聞、情報誌、ファッション誌、カルチャー誌)が興味を持ってくれたように、記事に取り上げてくれるでしょうけれど、漫画誌と比べれば意味合いはまったく違うと言えます。 |
|||||
前のページ | 次のページ | ||||
© 2001 Julien Bastide / Frederic Boilet このテキストの一部あるいは全部を無断で利用(コピー)することは、 著作権者の許可がない場合、禁止です。 |