目次:

Page 1 :  「ヌーベルまんが」 言葉の由来
Page 2 :  「まんが」は女性名詞/「パパの翻訳」
Page 3 :  講談社とカステルマン社がしたこと
Page 4 :  作家のイニシアティブ/art-Link 2001/イベントを始めるきっかけ
Page 5 :  ヌーベルまんが原画展/メゾン・ド・ラ・ヌーベルまんが
Page 6 :  ファブリス・ノーのインスタレーション/日仏学院シンポジウム/プレスの反応
Page 7 :  「ゆき子のホウレン草」/まとめ

  JB - ファブリス・ノーは、個展を開催した唯一人のフランス招待作家となり、その個展では彼の作品『ジャーナル』の日常との関係を軸にした訳ですが(作家自身が使ったり、インスピレーションを受けた事物の展示)、彼自身の収穫はありましたか。日本で、彼の『ジャーナル』の出版を考えている編集者とのコンタクトはありましたか。

  FB - 彼の個展は、谷中界隈の、藤ノ間Galleryと名付けられた小さなアパートの中に設営されました。このコンセプトはロイック・ネウーとファブリス・ノーの考えによるものです。実際ダビッド・Bと同じく、ファブリス・ノーも日本の幾つかの編集者とコンタクトを取りましたが、今の段階では、これ以上お話することは出来ません。

  JB - 10月4日木曜日、東京日仏会館で開催されたシンポジウムの目的は何だったのですか。作家としては誰が参加したのですか。作家間の交流は有意義なものでしたか。

  FB - シンポジウムの目的の1つは、フランスの招待作家達と、彼等の仕事、また彼等の作品の出版元であるエゴコミックス社とラソシアシオン社を紹介することでした。約80名の来場者は、フランスの作家達と出版社の紹介を、長過ぎると感じたのか、あまり興味を示しませんでしたが、やまだないとが様々な話題について話した時にはようやく活気づきました。はっきり言って、交流といえるものにはなりませんでした。
  私はこのシンポジウムの司会者だった訳ですが、自分がこの役割に向いているとは思いません。この経験を受けて、次回は司会の役割を別の人間、ジャーナリストかコミニュケーションのプロにお願いするつもりです。

ファブリス・ノーのインスタレーション展
ポスターデザイン:小島聡子

  JB - 個人的に、イベント「ヌーベルまんが」をどのように総括しますか。日本の作家側の参加に関して失望したということですが、それはどうしてですか。

  FB - フランスの作家3人を10日間、日本に招待出来ると分かった時点で、このことは日本では例を見ないイニシアティブの体現であり、私にとってこのイベントの成果は既にポジティブなものでした。芸大の大会場・正木記念館とGallery SD602 Kingyo を借りられたこと、建築家・ナツメトモミチと小島聡子の協力、またフジゼロックス(イベントのポスターとカタログを太っ腹にもただで印刷)、Time & Style(「メゾン・ド・ラ・ヌーベルまんが」インテリア家具貸出)、マックスレイ(芸大での展示照明)、アサヒビール(ドリンク提供)などのスポンサーを得られたことで、更に成功が確実なものとなりました。

  これに加えて、イベント「ヌーベルまんが」は、日本で初めての試みでしたが、マスコミに大々的に取り上げられました。
  イベント開催数日前のニューヨークで起きたテロに、マスコミの関心は集まっていましたが、このイベントは新聞に大きな記事で紹介されました。例をあげると「朝日新聞」、「毎日新聞」、週刊誌「Aera」1p.、月刊誌「ダ・ビンチ」4p.特集、ファッション誌「フィガロ・ジャポン」のアート欄での良質の記事、「Pen」、「Spur」ホームページ、アート誌「NTTインターコミュニケーション」6p.特集を始めとした、幾つものアートカルチャー誌の記事などです。中でも、NHKテレビでの生中継は、最高の瞬間でした。

  更に、「コミッカーズ」掲載予定のファブリス・ノーとダビッド・Bとのインタビュー記事、「Studio Voice」、「Daily Yomiuri」、「トラベル」、「るるぶ日本」、「バケーション」、「Spring」、「生け花りゅうせい」、「東京ウオーカー」等に載ったアートリンク・フェスティバル関連の数多くの記事や広告、特に「ジャパンタイムス」、「読売新聞」、「毎日学生新聞」、「美術手帖」、「MRハイファッション」に掲載された『ゆき子のホウレン草』と私自身に関する記事があります。冒頭で "大々的" に取り上げられたと言いましたが、大袈裟な表現だったでしょうか。

  とはいえ、落胆した部分もあります。事実、日本人作家の参加についてです。谷口ジロー、やまだないと、小泉吉宏の来訪をのぞき、その他の "漫画家たち" はイベントにはやって来ませんでした。3名の、それも優れた作家かつ編集者でもあるフランス人たちが海を渡り、日本人作家との出会いと交流を求めていたにもかかわらず、まるで門が閉ざされていたかのようでした。

  結局のところ、日本人作家の問題だけではなく、むしろ、漫画業界全体の問題でもありました。出版社でいえば、私の本を発行してくれている太田出版や美術出版社、あるいは青林工藝舎(「アックス」誌発行)や青林堂(「ガロ」誌発行)などといったインディペンデント系出版社以外は、ほとんど来ていただけませんでした。

  さきほど私は、掲載記事を羅列し、マスコミでの重要性を説いたばかりですが、その中に「コミッカーズ」(「アックス」はイベントインフォのみ掲載)以外の漫画誌がないことに気づいたでしょう。フランスでは考えられないようなことが、日本では起こり得るのです。同じ内容のフェスティバルが、東京ではなくパリで行われていたとしたら、BD・漫画専門誌(「BoDoi、「Pavillon Rouge」、「Animeland」など)でもいくつか取り上げられたのではないでしょうか。もちろん「Lire」、「Le Monde」、「Beaux-Arts」なども、「ヌーベルまんが」イベントという見地から、日本のマスコミ(新聞、情報誌、ファッション誌、カルチャー誌)が興味を持ってくれたように、記事に取り上げてくれるでしょうけれど、漫画誌と比べれば意味合いはまったく違うと言えます。

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© 2001 Julien Bastide / Frederic Boilet
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